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武功余話

ノンアフィ下ネタ多めの個人ブログ

明史日本伝-秀吉の項ガバガバ訳01

明史日本伝がガバガバで逆に面白かったので、訳している方のページを参考をみていたのですが難しいので勝手に柔らかく訳してみました(笑)

 

参考ページ 明史・日本伝・豊臣秀吉の条 TOYOTOMI Hideyoshi in The Chinese Authorized History

 

「秀吉と信長の出会い~出世」 

日本故有王、其下称関白者最尊、時以山城州渠信長為之。偶出猟、遇一人臥樹下。驚起衝突。執而詰之。自言「為平秀吉、薩摩州人之奴」。雄健蹺捷、有口弁。信長悅之、令牧馬、名曰「木下人」。後漸用事、為信長画策、奪並二十余州、遂為摂津鎮守大将。 

 

天皇の次に関白が偉い」

日本には元々王(天皇)が居て、その臣下の中で関白と呼ばれる者が一番偉い。

 

時に山城州(京都)を支配していた信長はこれに該当していた。(信長は関白には就任していないので明史の誤り)

 

「信長と秀吉の出会い」

 ある日信長が狩りに出かけると、木の下で寝ていた者とぶつかって驚いた。その者を捕らえて何者かと問うと、自らを平秀吉と名乗り薩摩州(チェストォ)の奴隷であると言った。(完全に明史の誤り)

 

「秀吉の出世の様子」

勇敢で口が達者だったので、信長はこれを喜び馬の管理をさせ、「木下人」と名づけた。(正しくは木下藤吉郎で明史の誤り。)

 

秀吉は信長の為に奔走し、二十余州を攻略し、摂津(大坂)の鎮守大将となった。

 

管理人の解釈:明はあくまで関白は天皇の臣下でしかないと理解している。信長は関白には就任していないが京都周辺を支配した天下人であったと理解している。

 

信長は狩に出かけた際に木の下で寝ていた秀吉と出会い木下藤吉郎と名づけた。文武に優れ馬の管理から城持ち大名になるまで出世を記している。薩摩の奴隷というのは意味不明。

 

 

「本能寺~関白就任」

有参謀阿奇支者、得罪信長。命秀吉統兵討之。俄信長為其下明智所殺、秀吉方攻滅阿奇支、聞変、与部将行長等乗勝還兵誅之。威名益振。尋廃信長参子、僭称関白、尽有其衆、時為万暦十四年。 

 

本能寺の変

信長の参謀に阿奇支(明智の誤訳?)という者がいて罪を犯した。信長は秀吉にこれを討たせた。


にわかに信長は部下の明智に殺される所となった。(明史が阿奇支と明智を別人と解釈しているので意味不明)

 

中国大返し

秀吉は阿奇支を滅ぼしたときに変を聞き(本能寺の変)部将行長(小西行長?)らと共に勝ちに乗じて兵を還し、明智を滅ぼしたので威名は益々振るった。(何いってだこいつ。)

 

「織田家を乗っ取り関白となる」
信長の三子を廃し(織田家を乗っ取り)、関白を僭し、信長の家臣を吸収したのが万暦十四年である。

 

管理人の解釈:何言ってだこいつ。原文通りでいえば信長の参謀である阿奇支が罪を犯したので秀吉に討伐させ、その最中に明智が信長に謀反を起こしたこととなっている。

 

その後で織田家を乗っ取り関白となりの信長の部下を吸収したとある。

 

正しくは秀吉が毛利軍と対峙している最中に本能寺の変が起き、中国大返しを経て明智光秀を討伐し実質権力者となった。

 

続く(笑)